王貞治の凄さが分かるエピソードまとめ!天才と呼ばれる理由や伝説を紹介

野球に興味がない人でも、一度は名前を聞いたことがある伝説のプレーヤー王貞治選手。

世界記録である通算本塁打記録の『868本』は未だ破られていません。

本塁打だけがフォーカスされていますが、実は生涯打率3割、出塁率44分など高い数値を残しています。

しかしあまり知られていないのですが、王選手は元々高校時代ピッチャー登録でした。

あの名門、早稲田実業のエースピッチャーで、甲子園でもノーヒットノーランを達成するなどとんでもない記録を幾多残しています。

今回はレジェンド、王貞治選手にスポットライトを当てて、過去の伝説エピソードを紹介いたします。

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王貞治のプロフィール


王貞治氏の基本的なプロフィールはこちら。

  • 背番号:1(監督時代89)
  • ポジション:一塁手・外野手(現役時代2試合のみ)、投手(高校時代)
  • 身長/体重:177cm/79kg
  • 生年月日:1940年5月20日(80歳)
  • 投打:左投左打
  • 経歴:早稲田実業高等部~読売ジャイアンツ(1959年入団)

    中学生時代の経験もあり、日大三校など当時の強豪校からも声を掛けられていましたが、最初に声をかけてくれた早稲田実業への入学を希望しました。

    野球部に入部すると、わずか1カ月で先発として試合に出場、この時は春季関東大会東京都予選決勝だったこともあり、王選手への期待が大きかったことがうかがえますね。

    その後もピッチャーとして活躍していき、2年生夏の甲子園で寝屋川高校を相手に延長11回を投げノーヒットノーランを達成します。

    しかしこの時を境に、ピッチングの異変に気付き、翌年よりバッターとして本格的に活躍していきました。

    早稲田大学への進学を考えていましたが、ジャイアンツからのラブコールに応え巨人へ入団することになります。

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     【王貞治の伝説】一本足打法へのフォーム変更

     王選手の生涯本塁打記録は868本ですが、そのうち年間のセ・リーグ本塁打王のタイトルはなんと15回打点王も13回受賞しています。

    本塁打王は13年連続、打点王は8年連続と、未だこの記録は破られていません。

    シーズン最多本塁打の55本もすごいのですが、こちらは2013年に当時ヤクルトのバレンティン選手が60本で記録を塗り替えました。

     

    王選手は21年の現役生活でこれだけの記録を残してきましたが、入団から3年間は試合に出場はするものの、目立った成績を残すことができませんでした。

    しかし入団4年目の1962年に、前年の約3倍の本塁打を記録します。

    その理由が、かの有名な『一本足打法』へのフォーム改造です。

     

    当時の監督である川上哲治さんが前年打撃コーチに就任した荒川博さんに練習をちゃんとしない王選手の意識改革すること期待して託したそうで、1962年の春季キャンプでさまざまなフォームに挑戦。

    その中の一つが『一本足打法』です。

    ですが、その時はまだ一本足打法に完全移行はせず、練習をしただけで終わりました。

     

    シーズンが始まり、6月末時点で打率が2割5分9厘本塁打9本。決していい成績とは言えないものでした。

    翌日71日の大洋ホエールズ(現DeNA)戦前の監督コーチ会議で別所ヘッドコーチが王選手を非難する言葉を発し荒川コーチが激昂、その時を機に王選手へ一本足打法を厳命。

    これがきっかけで、王選手のバッティングフォームが一本足打法へと変化しました。

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    【王貞治の伝説】日本刀での素振り

     フォーム変更後の7月、この一カ月だけで本塁打を10本打ち打撃が開眼していきます。

    これらの結果が出てきたことで練習に打ち込むようになりますが、この時の練習の激しさが伝わるエピソードとして、

    • 『練習の際に使用した部屋の畳がボロボロになり、自身の足から大量の血しぶきがあった』
    • 『腕の振りすぎで、翌朝洗顔をしようとしたら腕が動かなかった』

      など、聞いただけでも壮絶さが伝わってきます。

      中でも有名なエピソードとして、日本刀を使用した練習があります。

       

      当時、国鉄スワローズ(現ヤクルト)の大エースである金田正一選手は、一本足打法はタイミングをずらされると通用しないという弱点を見破っていました。

      荒川コーチもその弱点を把握しており、それを克服させるためのトレーニング法として発案したのが日本刀を使用したトレーニングです。

       

      そのトレーニングを見学した当時のチームメイトで先輩だった、広岡選手・藤田選手にすさまじい練習だったと言わしめるほど。

      また野村克也選手も練習を見学し、

      あれだけの練習をしたのだから、世界記録を作っても不思議ではない。自分に一切妥協をしない

      と評価していました。

       

      しかし一歩間違えればただじゃ済まない練習法になぜ取り組んだのでしょうか。

      それには理由がありました。

      日本刀を使った理由①ボールを飛ばす圧倒的なパワー

      腕の力だけではボールは遠くに飛ばせない、そのためダウンスイングを身につけるひつようがありました。

      真剣は非常に重く、上から下に振り下ろすことで力が伝わり斬ることができることから理想だと考えたようです。

      日本刀を使った理由②精神力の強化

      日本刀という扱いが困難なもので、紙を切るほど打撃を研ぎ澄ませる。

      打席内での集中力を一層高め、余計なことを考えないように精神の鍛錬をするためと言われています。

      これらを同時に習得することで弱点を克服し、さらにワンステップレベルアップした一本足打法を習得することができたのですね。

      【王貞治の伝説】努力の天才打者エピソード

       プロ野球界の天才といえばミスター長嶋茂雄選手ですね。

      王選手はこれらのエピソードも含め努力家と言われています。

      『努力は必ず報われる。もし報われない努力があるのならば、それはまだ努力と呼べない。努力しても報われなかった、それは努力をしていなかったからではなく、努力とは呼べない域だった』

       努力をし、結果を出したからこそ出てくる重みのある言葉ですね。

      しかし努力をしても、日本刀の特訓や高校時代のピッチャーでの活躍、万年Bクラスであったダイエーホークスを優勝常連チームへ育て上げた手腕などは、類稀なセンスあってのもの。

      それ故に、天才と努力の2つを持った野球神なのでしょう。

      【王貞治の伝説】耐え忍び、名監督へ

      王選手は監督としての才能も含めて、天才と呼ぶに相応しい成績を残しています。

      西武黄金時代を築いた森祇晶監督、炎の闘将と呼ばれた星野仙一監督、野村再生工場と呼ばれ新たなスターを育て上げた野村克也監督など、過去名将と呼ばれた監督はそうそうたる面々です。

       

      中でも王監督は万年Bクラスで陽の目を浴びることがなかった福岡ダイエーホークス(現ソフトバンクホークス)常勝軍団に育て上げた結果があります。

      しかし、就任直後もチームは勝てず、うっ憤が溜まったファンが監督・選手らが乗るバスに生卵を投げつけるという有名な事件がありました。

       

      後に王監督はその時の事件を語り、

      「ただの生卵だろう。まだ彼らには良心がある。生卵は当たっても怪我はしない。本当に悪意を持ったやつらだったら、石を投げてくる」

      と言っていたそうです。

       

      就任2年後の1997年も4位の成績で終了しましたが、98年には南海ホークス時代から遡って22年ぶりのAクラスに。

      99年に初優勝をし、2007年までAクラスをキープするまでにチームを変革。

      平成最強のスラッガー・松中信彦をはじめとしてキャッチャー・城島、セカンド・井口、センター・秋山と90年代最強の野手陣に加えます。

      最後の沢村賞投手・斉藤和巳を筆頭に、工藤・若田部・永井の先発陣、ペドラザ・藤井・吉田・篠原と強力なリリーフ陣を持つ最強チームになりました。

       

      ドン底とまでもいえるチーム状況といった弱小球団を率いて、今もなおパ・リーグ常勝チームとして位置するチームの土台を築き、監督としての手腕を存分に振るいました。

      そして第1回のWBCで監督を務めることになり、決勝で最強キューバ軍団を倒す快挙。

      初代王者として世界に、さらに名を刻みました。

       

      現役時代に身につけた忍耐力で、あらゆるところからのバッシングなどを耐え忍び、手の平を返すほどの結果を残すことに成功した王監督はまさに努力の天才であり、名将と呼ぶにふさわしい人物ですね。

      まとめ:王貞治は伝説の野球選手

       世界の王』として日本球界だけでなく、世界からも称賛される王選手。

      選手時代をはじめ、監督時代を経験し、現在はソフトバンクホークスの球団取締役会長として野球界に籍を置いていますが、長年、球界に大きく貢献をしてきた王選手は既に80歳になりました。

      プロ野球界に大きな功績を残した野村克也さんや星野仙一さんは亡くなってしまい、長嶋茂雄さんは存命であるものの、病が原因で球界からは身を引いています。

       

      王選手を超える」ことは生半可なことではありませんが、現役選手であれば球界最強打者と呼び声が高い柳田選手、トリプルスリー達成後も記録を伸ばし続けるヤクルトの山田選手など、近年スター選手が多く出てきています。

      現在もなお、球団に尽くしていることに、我々野球ファンも、選手達も感謝し、球界をこれからも盛り上げていきたいですね。




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