陽岱鋼選手は現在、読売巨人軍で正中堅手の丸選手のサブ、または守備固めに左投手時の代打と、本来の能力からすれば本人も納得してない状況にあります。
怪我もあり、本人の思った通りに、そしてファンとしても期待した活躍ができてないことは非常に残念です。
そんな陽岱鋼選手ですが、巨人へは2016年のオフに期待されでフリーエージェントで加入しました。
フリーエージェント宣言をした当時、巨人以外にもオリックス、楽天も候補としてメディアを賑わせていました。
実は、当時オリックスは陽岱鋼選手のいとこである張奕選手を2016年オフに育成選手として獲得しており、オリックスが陽岱鋼選手を獲得するために入団させたのでは?との話もあがりましたが、結局、陽岱鋼選手は巨人を選択し、入団しました。
なぜオリックスではなく、巨人を選んだのか。
その点を当時の状況踏まえてお伝えしたいと思います。
陽岱鋼選手について
2020.8.1 巨人×広島
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— Shh…次はいつ??🏟🐿 (@xxsxxhxxhxx) August 2, 2020
陽岱鋼選手は、台湾出身の33歳外野手。
日本国籍は取得してませんが、高校生時代を日本で過ごしたため、NPBとしては日本人扱いとして2005年の高校生ドラフトで日本ハムファイターズへ入団しました。
実は陽岱鋼選手、お兄さん(陽耀勲)も当日NPBのソフトバンクホークスで投手をしており、希望はソフトバンクホークスだったようです。
入団当時は遊撃手として活躍を期待されましたが芽は出ず、2009年頃に外野手としてコンバートし、守備範囲の広さ、強肩、俊足、強打を生かし、中堅手として活躍することになります。
その後、ゴールデングラブ賞を受賞し、オールスターにも参加するなど、パリーグを代表する外野手へと成長していきました。
いとこ・張奕との関係と不仲説について
【五回】巨 0-3 De#陽岱鋼 選手がチーム初安打で出塁するが後続が倒れ無得点。#withfans #ジャイアンツ #giants #巨人 #東京 #tokyo #巨人戦 #DRAMATICBASEBALL pic.twitter.com/hHBXF2ojHC
— 読売巨人軍(ジャイアンツ) (@TokyoGiants) July 29, 2020
陽岱鋼選手には、前述しましたが兄陽耀勲選手がソフトバンクホークス、いとこの張奕選手がオリックスと、NPBでプロ野球選手として同時代を生きました。
もともと陽岱鋼選手は兄陽耀勲選手の後を追って野球留学をし、日本ハムファイターズに入団しましたが、いとこの張奕選手も陽岱鋼選手を追って野球留学し、オリックスに育成選手として入団した経緯があります。
陽岱鋼選手からすれば、7歳下で自分を慕って野球留学をしてきた弟分として可愛がっていたようです。
実際、野球留学で母校に入学した張奕選手に対して、たびび訪れてご飯を共にし、お小遣いをあげるなど、同郷の弟分に目をかけていたようです。
そんな張奕選手が2016年にドラフト候補となり、時を同じくして陽岱鋼選手もフリーエージェント宣言し、二人にとって岐路を迎えた年でした。
陽岱鋼選手と張奕選手との関係ですが、当時すでに交友はなかったと考えられます。
その頃、家族間のトラブルによって親戚より批判を受けていたとも言われている陽岱鋼選手。
台湾は親戚の付き合いを大事にする習慣があり、当人どうしで確執がなかったとしても交友がなくなることもあるようです。
実際に、週刊誌からの「不仲説」についての質問に対しても否定をせず、連絡を取ってないことを明言してます。
2016年のフリーエージェント宣言時に、オリックスはいとこの張奕選手を育成選手として獲得しましたが、陽岱鋼選手獲得には影響を与えなかった、もしくは張奕選手がいるから行かなかった可能性もあるのではないかと邪推してしまいます。
実際のところは当人しか知り得ないところですが、いろいろドラマがあるのがドラフト・フリーエージェントの面白いところではないでしょうか。
2016年フリーエージェントの真相
【🔥#熱闘撮って出し🔥】 #陽岱鋼 選手のスライディング!(撮影・斎藤浩一)#巨人 #giants #ジャイアンツ #サンスポ pic.twitter.com/VZc5nxGIzX
— 巨人情報@サンスポ (@sanspo_giants) July 28, 2020
2012年~2013年が最盛期となり、2013年には盗塁王を獲得してパリーグで有数の外野手として活躍します。
そんな最盛期は長くは続かず、大きく変わったのは2014年に怪我をした頃から下降機を迎えました。
2014年に左ひざの損傷、以前から持病でもある右肩痛が重なり、それまで継続していた連続出場が途切れて成績も凡庸な数値を記録することになります。
翌2015年も度重なる怪我に苦しみ、2016年もスタメンを外れて代打要員、守備固め要員と役割が変わっていきました。
最盛期には、年俸4億円と高額選手となっており、当時の日本ハムファイターズの方針として若返りを目指していたこともあり、不良債権となりつつありました。
そして2016年陽岱鋼選手はフリーエージェント宣言をします。
獲得に手を挙げたのが、巨人、楽天、オリックスです。
当時巨人は主力級の外野手がおらず、特に中堅手は積年の課題でした。
楽天、オリックスは、慢性的に外野手が不足しており、怪我がちとはいえ、29歳とあぶらの乗ってる主力級の外野手は渇望していました。
3球団とも好条件を提示しましたが、ここでオリックスはさらに一手を出しました。
弟のように可愛がっている張奕選手を育成選手として獲得します。
怪我がちな陽岱鋼選手にはDHでの出場もできる同じパリーグということもあり、一歩リードかと思われましたが、結果的には巨人を選択した陽岱鋼選手。
最終的には、5年15億円ともいわれる好条件が決め手とも言われてますが、張奕選手が在籍する予定のオリックスはメリットとして受け取られなかったと取れます。
陽岱鋼と張奕の不仲説についてまとめ
連絡はとっていないのは陽岱鋼選手が名言していたので事実のようですが、不仲というのは断定できません。
仲が良かったとしても家族を持てば疎遠になるのは仕方ないことですし、単純にお互いのやるべきことに集中しているととっていいでしょう。
これからもお二人の活躍を応援していきましょう!