北海道日本ハムファイターズの万波中正選手は中学時代からテレビに取り上げられるほど有名でしたよね。
高校時代は思ったよりも目立った活躍はできませんでした。
調べてみるとベンチ外になったこともありましたね。
本記事では、万波中正がなぜベンチ外になったのか、性格や素行について掘り下げていきたいと思います。
万波中正のプロフィール
https://twitter.com/hnhfspi/status/1106805918514044928
万波中正の基本情報
名前 | 万波中正(まんなみちゅうせい) |
生年月日 | 2000年4月7日 |
出身地 | 東京都練馬区 |
出身中学 | 練馬区立開進第二中学校・東練馬シニア |
出身高校 | 横浜高校 |
身長・体重 | 190㎝・90㎏ |
投打 | 右投げ右打ち |
ポジション | 外野手 |
背番号 | 66 |
プロ入り | 2018年ドラフト会議北海道日本ハムファイターズ4位指名 |
190㎝はプロでも身長が高いほうで、恵まれた体格ですね。
ピッチャーとしてもかなり凄腕でしたが、プロでは野手として専念するようです。
万波中正の経歴
万波選手は小学2年生の時に野球を始め、投手としてブルーフェニックスでプレーしました。
中学時代は学校では陸上部に所属しながらも、東練馬シニアで硬式野球に親しみます。
中学1年生の時には100メートル障害決勝で2位、中学3年生の時には砲丸投げで優勝しています。
野球のほうも自チームを全国準決勝進出に導くなど輝く成績を残しました。
天は二物を与えていましたね。
高校は強豪の横浜高校で外野手としてベンチ入りを果たすと、1年生の秋から4番打者としてホームランを量産しました。
救援投手としても登板することもありましたが、スラッガーとしてプレーすることが多かったですね。
ドラフトでは日ハムから4位指名を受け、プロ入りを果たしました。
万波中正がベンチ外になった高校時代
平成31年3月17日
2019年イースターンリーグ
読売ジャイアンツ 対
北海道日本ハムファイターズ
万波 中正 選手 横浜高校ー日本ハム
ライト前ヒットで出塁後、モーションを完全に盗み、スチール成功!#横浜高校#日本ハム pic.twitter.com/DgVtP0p4wQ— まおきち (@mao20010101maom) March 17, 2019
これだけ実力があれば、高校時代は全ての試合で主力選手として出場していたことでしょう。
しかし、万波選手は高校3年生からベンチから外れるようになります。
3年春の関東大会の序盤からベンチから外れ、夏の神奈川県予選の序盤でもベンチから外されていました。
途中から背番号13を与えられベンチ入りを果たして、準々決勝からは4番として出場しています。
その時にはバックスクリーン弾を放ち、見事に完全復帰を果たしました。
なぜ、1年生の時から結果を残していたのにも関わらず、ベンチから外されていたのでしょうか。
しかも大会の途中からベンチ入りというのは異例のことです。
ケガの影響も囁かれていますが、そういった情報はどこにもありませんでした。
ケガだとしても完治する頃合いはだいたい想像できますし、復帰してすぐにホームランを打つなんて至難の業だと思います。
個人的にはケガのせいではないと思っています。
では、何かといいますと、参考になる資料がありました。
横浜高校の平田監督がインタビューで万波選手のベンチ外に関して以下のように語っていました。
「頭がよくて好奇心旺盛、研究熱心であるがゆえに、いろんな方向に考えが及びブレていた。(メンバー外で)挫折も味わいながら、個人の成績よりも、チームを勝たせることに気持ちが入った」
「考えがぶれた」と表現していますが、思春期ですし、野球以外のことにも心移りしやすい時期だったと思われます。
おそらく、野球に集中できない状況だったのではないでしょうか。
精神的な面の影響が大きそうですね。
万波中正の性格と素行について
平成31年3月17日
2019年イースタンリーグ
読売ジャイアンツ 対
北海道日本ハムファイターズ
万波 中正 選手 横浜高校ー日本ハム
9回表ツーアウトも二塁打が出て、代打万波選手来たわー!#横浜高校#日本ハム pic.twitter.com/PP7CQy9vTY— まおきち (@mao20010101maom) March 17, 2019
ベンチ外になった理由がケガでないとすると、素行が悪かったのではないかと自ずと考えてしまいますよね。
真相について探ってみると、2年生の時に打撃不振に陥っていたことが明らかになりました。
結果を残せなくなり、ベンチから外されるようになり、さらには退寮も強いられ、片道90分かかる道のりを通学していました。
なぜここまでの仕打ちをしたのかと言いますと、「もう一回り成長してほしい」という監督の思いがあったと言われています。
結果が出なくなっただけで退寮というのはあまりにも酷すぎるので、おそらく素行の悪さが目立っていたのだと思います。
具体的なベンチ外の理由は伏せられていますが、おそらく素行が悪かったと見てもいいでしょう。
しかし、退寮後も腐らずに努力を続け、結果的には完全復帰も果たしていますから、監督の判断は正解だったのかもしれませんね。
中学時代から期待を集められて順風満帆に野球人生を送っていた万波選手にとっては一種の挫折にもなったでしょうし、今後の人生の良い薬にもなったのでしょう。
まとめ
- 万波中正は中学から注目されていた選手
- 万波中正は2年から3年春までベンチから外れていた
- 退寮という挫折を味わい人間として一皮むけた
プロ野球はネットで無料観戦することもできます
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