野球を元気に語ります。どーもラックです。
皆さんは野球が好きですか?
はい!筆者も野球が好きです。
好きでなかったら、このサイトを運営していなかったことでしょう。
社会人になった今、忙しくしてたとしても、定期的に人を集めて野球をしたり、キャッチボール相手を募集したりするくらい、野球をこよなく愛しています。
今となってはこれだけ野球が好きな筆者ですが、人生の中で一度、野球が嫌いになってしまったことがあります。
野球経験者にありがちなのですが、野球が好きになるか、野球が嫌いになるかだいぶ極端に分かれる傾向があると思います。
本記事では、私の野球部時代のエピソードと絡ませながら、なぜ野球経験者が野球嫌いになっていくのかを考察したいと思います。
野球が嫌いだというツイッターの声
まずは、野球嫌いというツイッターの声を拾ってみましたので見ていきましょう。
https://twitter.com/sky32niconico/status/1043555362731831296
土日に野球の練習があるのでしょうか。
楽しく野球をするためにも周りの配慮も必要ですし、環境選びも大事です。
しんどくなったら、場所を変えてみるのもアリですよね。
萎縮させて成長を阻害して野球を嫌いにさせるとは高尚な指導ですね。自分が対戦相手の監督なら試合放棄して帰るわ。保護者なら監督に平手打ちしてお前の指導が悪くて負けたんじゃボケって言ってる。
>RT— 秋霜磊落 (@shusorairaku) September 20, 2018
指導者によって野球が嫌いになってしまった声は何回も聞いたことがあります。
世の指導者たちよ、勝利よりも野球の楽しさを教えるのを最優先にしてください!
さて、話を戻して、筆者の場合はどんな時に野球をしたくなくなったのか語っていきたいと思います。
野球嫌いになった中学時代
それは中学時代の時でした。
思春期真っ盛りの時ですね。
この時、野球部内での人間関係が上手くいかず、部活に行くのが非常に億劫になっていました。
なぜ人間関係が悪くなったかと言いますと、二人組になってトスバッティングをしていた時のことでした。
自分が投げる側で、ペアの相手が打つ側の状況で、練習をしていたのですが、
コントロールに難があった私はなかなか良い球を放れず、気持ちよく相手に打たせることができなかったんです。
それがストレスになったのか、段々相手が不機嫌になっていることが感じ取られました。
これはいかん!と思いながらも、相手の不機嫌な様子が逆にプレッシャーとなり、体が委縮してますます良い球が投げれなくなってしまい、ついにはワンバウンドのボールまで投げるようになってしまいました。
この時、バッターの子がホームベース代わりに自分のグローブを置いていたのですが、私が投げたボールがその子のグローブに直撃してしまったのです。
グローブは野球選手にとっては命のようなもの。
ボールが当たったグローブは後ろのほうに転がっていったのを見て、バッターの子はついにキレてしまったのです。
怒鳴りつけたり、殴りかかってきたりするようなキレ方ではなくて、黙ってペアの子が他の子の所にいって、「ペア代わってくれない?」と言いにいったのです。
これが平成風のキレ方です。
とても大切にしているグローブにボールを当てられたり、トスバッティングの練習をしているのにまともに打てなかったりしたら、嫌な気持ちになるのは筆者も分かります。
でもさすがに相手の気持ちや状況も推し量ろうとするので、自分の感情を表に出すようなことはしないように気を付けていたので、まさかキレられるとは思ってもいませんでした。
思春期の中学生ということもあり、その子はストレスに弱かったのかもしれませんし、いろんな事情が重なっていたのかもしれません。
今は仕方ないことだったのだなと理解できるのですが、当時はなぜキレてしまうのかあまり理解できなかったのです。
それから数日間、その子からは無視されるようになり、部活に行くのがしんどくなりました。
すると、野球をしていても全然楽しくないのです。
ましてや、野球をするとキレられた出来事と野球自体が紐づいて、苦痛のスポーツにさえ感じるようにもなったのです。
これと似たような人間関係が上手くいっていない状況が私のところ以外でも起こっているのが、多く見られました。
こんなギスギスしたところで野球なんかやりたくないと思っていました。
野球自体は好きだったのに、一緒に野球をしている人たちの人間関係が要因ですっかり野球が嫌いになっていました。
だから、野球は中学で終わろうと思い、高校では違う部活に入ろうと思うくらいにまでなっっていました。
高校は進学校に進み、中学の時に一緒に野球をした人は一人もいませんでした。
つまり全員初めて会う人たちと一緒に野球をすることになりました。
高校時代の野球の思い出はすごく楽しかったことばかりが残っています。
中学の時より、高校の時のほうがはるかに練習もきつくなって、求めらるハードルも高くなっているのにも関わらず。
というのも、ギスギスした風潮は全くなかったからなのです。
その時に初めて、私は根本的に野球が嫌いになったわけではなかったのだなと自己認識するようになりました。
中学時代は思春期の心身共に揺れ動きながら成長する時期なので、仕方ないことだなとは思っています。
野球部はなぜ偉そうなのか?
大人になってからいろんな人から話を聞いてみると、どこの学校でも野球部はどうやら偉そうな人たちが多かったようです。
そして、私が通っていた学校でも野球部はなぜか偉そうな感じでした(笑)
他の部活の子たちが
「野球部=偉そう」
みたいな印象を持っているのは察していたので、私はなるべく、偉そうにしないように細心の注意を払いながら学校生活を送っていたのを覚えています。
だいぶ神経がすり減った中学時代でしたw
なぜ、野球部はここまで偉そうなのか?
ネット上の意見でもっともらしい意見を寄せ集めてみました。
まとめ
どんな人間関係を構築するかで、野球に対しての思い出が構築されてきます。
人生において、何かに取り組もうとする時、結局はどんな仕事をするかよりもどんな人間とするかが重要視されるケースがありますよね。
それと似たようなことで、野球もどんな人と野球をするかで野球の味を占めるかどうかが変わってくるのですね。
大人になった今、心が通じ合う仲間と野球をしている時が最高に幸せを感じております。
私が思うに野球部は、
集団行動 × 荷物が大きくて多い × 監督やコーチが強面
という要素が掛け合わさることで、自分が強くなった気持ちになるのではないでしょうか?
厳しい指導の下で鍛えられているので誰にも負けないという自信が湧いて、さらに大きくて多い荷物を持ち歩くので潜在的に武装しているような感覚になっている
というのが考えられます。
単純な考察ですが、人間は身につけているものや服装で心の持ち方が大きく左右される傾向にあります。
心理学的な観点から見ても、提示した持論は妥当のような気もします。