野球を続けていく中で段々と自分の強みが分かっていくものです。
ホームランバッター、バント職人、守備職人、安打製造機、精密機械、ムードメーカー、堅実プレイヤー、マルチプレイヤー、、、、
野球は打撃、守備、走塁といった大きく3つに分けた動きがありますが、それぞれが全く違う動きをしますので、どこかに特化して上手くなることもあります。
いわゆる強みが出てくるのです。
そして、その強みはチームの勝利へ大きく貢献するものとなってきます。
自分の強み、いわゆる野球における自分の個性を見い出すのはタダでは起こりません。
一生懸命練習していると自然と見えてくるものもありますし、初めから計画的に方向性を定めて努力することで個性を開発するケースもあります。
私も野球における強み・個性を開発してきましたが、どのようにして開発し、どんな個性を発揮したのかを紹介していきますので、参考にしていただければとおもいます。
非力だった少年時代
少年野球をしていた頃はサードを守っていたのですが、ファーストまでノーバンで届かないほど非力でした。
だから、いつもワンバウンド送球の練習ばかりしていました。
小学5年生の新チームの頃まではそれでいいと思っており、6年生になれば自然と肩も強くなるだろうと思っていました。
その時にノーバウンド送球ができれば良いと思っていたのですが、6年生になっても力がつかずにワンバウンド送球を続けていました。
そしたら、ついにはレフトへポジションが移されることになりました。
これくらい力がなかったのです(´;ω;`)
この力の無さは送球に影響がでるだけでなく、打撃にも。
あまり外野の頭を抜けた記憶がないんですよね。
内野の頭を超えれば満足していました。
ほとんどのヒットは単打ばかりでした。
それを見かねた父親は私にある練習を強いました。
父親と始まった週1~2のバント練習
バント練習です。
バントならば力は関係ないですもんね。
チームにバントを確実にできる子がいればだいぶ助かります。
そこに目をつけた父親はバント職人計画を立ててくれ、父親が休みの日の夕方からいつもグラウンドでマンツーマンの特訓をしてくれました。
バント練習のためにたくさんのボールも買ってきて、そのボールを速めに投げ込む父親。
手にボールが当たったり、上手くできなかったりすることも多くて嫌になることもありました。
時には私がいじけて練習を投げ出す時もありました。
それでも父親は特訓を続けてくれました。
あまり叱る父親じゃなかったので、本当に迷惑をかけたなと感じます。
この親子特訓の成果はしっかりと表れ、確実にバントできるようになったし、自信もつきました。
三塁側、一塁側、どちらにも器用に転がせるようになりました。
2番バッター定着
こうしてバントが得意になったのですが、監督は私のバントを見てすぐさま2番バッターとして置いてくれました。
そして1番バッターが塁に出ると、必ず送りバントのサインが出ます。
着実にランナーを送ることができ、失敗した記憶はないほどです。
ただ、相変わらず非力だったのでランナーが出てないと普通に打つのですがやはり長打は出ず、単打か凡退ばかりでした。
足も速くなかったのでセーフティバントという発想すら浮かびませんでした。
しかし、極めたバント技術は中学に上がると同時にさらなる開発を遂げるのです。
中学からはセーフティバント職人
なぜか中学入学と同時に足が速くなったんです。
自分で言うのもあれですが、校内で5本の指に入るくらいの俊足になりました。
そうすると、少年野球時代に培ったバント技術は送りバントの用途のみに使われることはなくなりました。
打席での選択肢の中にセーフティバントが増えたのです。
ランナーがいる時もいない時もひたすらセーフティバントをしていました。
相変わらず周りの友達と比べて非力だったので(;^ω^)。
そして、セーフティバントの個性を身に付けることに成功しました。
この個性の開発によって、チームの勝利に貢献できたと思いますし、チーム内での功績を残すこともできたのです。
打率はチーム1位
そう。
セーフティバントばかりしていたらチーム内の打率が1位になっていたのです。
主砲の子がスコアラーの子に
「俺の打率すごいことになってるでしょw?」
と誇らしげに聞いていたので、実際どれくらいの打率なのか気になって聞いて見たら、4割弱でした。
確かにすごい打率です。
しかし、スコアラーの子が
「打率1位はラック(私の名前)だよ」
と私に言ってきました。
たしか打率は4割半ばだったのを覚えています。
種明かしすると、私はどんな時でもセーフティバントをしていたため、ランナーがいる時に自分が出塁したら打数にもカウントされるしヒット数も増えます。
普通のヒットと一緒ですよね。
一方で、ランナーがいる時にセーフティバントを仕掛けて、自分が出塁できなかったらそれは送りバントになるので打数としてカウントされないのです。
だから分母があまり比較的大きくならず、高確率で分子を大きくすることができ、打率が高くなったということなのです。
個性を磨いたことで思わぬ産物も得られました。
まとめ・教訓
バントを極めた例として挙げましたが、始めは送りバントにしか使われませんでした。
次第に足が速くなり、走力がついたことで磨き上げたバントが飛躍的に有効活用できるようになりました。
一つの個性を磨き上げれば、始めは一つのことしか得られないかもしれません。
しかし、特化した個性がどんどん開発されていけば、自分でも思わないところで能力、パフォーマンスを発揮できる可能性を秘めているということを学ぶことができました。
数多の分野がある社会において、一つの分野を極めることは決して一つのことだけを得るわけではなく、そこから派生して、もっと多くのものを得られるものなのだと感じます。