高木京介選手は一時期、野球賭博でニュースにもなりました。
ひと悶着ありながらも無事に野球界へ復帰できて良かったですよね。
しかし、他の選手よりも早く復帰できたことに対して不思議に思った人も多いようです。
こちらでは高木京介選手がなぜ早く復帰できたのか、掘り下げて行きたいと思います。
高木京介はなぜ早く復帰できたのか
https://twitter.com/TokyoGiants/status/1277923958214385664
高木京介選手は野球賭博をして、1年間の失格処分を受けていました。
1年間の失格処分の後、現役選手として復帰できたのは高木京介選手が初めてとのこと。
他に野球賭博に関与していた
- 笠原将生 選手
- 福田聡志 選手
- 松本竜也 選手
は、巨人を解雇または無期の失格処分となっています。
なぜ高木京介選手だけ現役選手として復帰できたのでしょうか。
その理由については3つ考えられます。
- 他の選手を勧誘していない
- 野球賭博を行った期間が短く回数も少ない
- 野球賭博常習者との関わっていた証拠がない
他の選手を勧誘していない
高木京介選手はチームメイトだった笠原将生氏に誘われ、1試合に10万~15万円ずつをプロ野球の8、9試合に賭けたと言われています。
このことから高木京介選手はあくまで野球賭博に対しては受け身だったとうかがえます。
他の選手を巻き添えにしなかったという点で処罰が軽くなったのでしょうね。
野球賭博を行った期間が短く回数も少ない
高木京介選手が野球賭博をしていた期間は2014年の4月下旬から5月上旬まで。
賭けていた試合は8~9試合といいますから、おそらく1週間~2週間程度の短い期間だったと考えられます。
この点が復帰できた要因かもしれませんね。
野球賭博常習者との関わっていた証拠がない
野球賭博をしていた期間が短く回数が少ない、さらに誰も勧誘していないということで、あまり野球賭博の常習者と関わりは少なかったのかもしれません。
証拠も見つからなかったので、処罰が軽くなったと考えられます。
高木京介が謹慎期間中にしていたこと
https://twitter.com/sanspo_giants/status/1261966119708946433
処罰が軽くなったとは言え、1年間の謹慎期間は長いですよね。
この期間、高木京介選手はどんなことをしていたのでしょうか?
当然のことと言えば当然かもしれませんが、復帰を目指して自主トレをしていました。
謹慎期間中だったので、誰かと一緒にトレーニングをすることはできず、孤独の自主トレだったようです。
また、精神的にもこたえたのか、体重は謹慎前よりも10キロやせ、77、78キロとなりました。
復帰直後は「激やせ」したとニュースになっていましたね。
高木京介選手の身長は183cmなので、そこまでガリガリというわけではなさそうな体重ですが、野球選手であることを考えるとちょっと足りないですよね。
せめて身長マイナス100以上の体重はほしいところですから。
また、高木京介選手は謹慎期間中に長女が誕生しています。
子供が生まれたこともあって、かなり気合いの入った復帰になったのではないでしょうか。
笠原将生が高木京介の野球賭博に言及
まとめ
- 高木京介の謹慎処分が軽かったのは賭博に対して受け身だったから
- 謹慎期間中は自主トレに励み、長女が誕生した
- 笠原将生いわく、
高木京介選手がマウンドに立つ時には相当な覚悟が伝わってきますよね!
気迫のこもったピッチングがファンたちに勇気を与えてくれます。
https://nekkyu89.com/taguchikazuto-nickname/
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