奥村展征とりゅうちぇるはどんな関係?共通点や仲の良さについても

2013年に日本大学山形高等学校からドラフト4位指名を受け入団した奥村展征選手。

高校時代は1年生にも関わらず、セカンドのレギュラーを獲得。

3年時にはキャプテンとして甲子園出場、準決勝まで勝ち抜き、U18日本代表として日の丸を背負いました。

野球の成績など、活躍以外でなぜか『奥村展征 りゅうちぇる』というキーワードが浮上しており、まったく関係のないりゅうちぇるさんと奥村選手がなぜキーワードに引っかかっているのでしょうか?

この疑惑を検証していきたいと思います。

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奥村展征のプロフィール


まず奥村展征選手の基本的なプロフィールを紹介します。

  • 背番号:91→56→00
  • ポジション:内野手(セカンド、ショート)
  • 身長/体重:178cm/76kg
  • 生年月日:1995年5月26日(25歳)
  • 投打:右投左打
  • 経歴:日本大学山形高等学校~読売ジャイアンツ~東京ヤクルトスワローズ

    日本大学山形高等学校では、入部1年目の春からセカンドのレギュラーを獲得し、2年生春の県予選大会では6打席出塁を記録するなど、好打で活躍します。

    3年生でキャプテンに就任し、自身も4番を任され、まさにチームの顔!

    甲子園でもその勢い収まらず、攻守の活躍で山形県勢初の甲子園4強という偉業を成し遂げました

     

    準決勝では敗北はしたものの、絶好調だった前橋育英の高橋光成選手(現西武ライオンズ)の完封勝利を阻みます。

    同年9月、U-18日本代表に選出、セカンドとして準優勝を経験。

    打撃と守備、両方を評価され2013年、読売ジャイアンツからドラフト4位指名を受け入団しました。

     

    入団後、2年目にはイースタンリーグ公式戦に86試合出場し、フレッシュオールスターにも選出されました。

    しかし翌年1月、当時ヤクルトの正捕手であった相川亮二選手のFA移籍により、人的補償が発生。

    これによりヤクルトスワローズに移籍。

    2016年の8月、対広島戦で初スタメンとなり、翌年2017年には古巣・ジャイアンツの菅野智之投手から公式戦初安打、以降1軍に定着し、代打での起用が多くなりました。

    2019年になると、ショート定位置であった西浦選手の故障・廣岡選手の不振により、ショートしての起用が多くなり自己最多の74試合出場を果たしました。

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    謎の関連キーワード、りゅうちぇるはなぜ出てきた?

     GoogleYahooの検索キーワードで奥村選手を検索すると、末尾に『りゅうちぇる』とついてきます。

    正直野球とは関連がなさそうな人物ですし、共通点も特に考えられませんが何故でしょう?

    実はヤクルト移籍2年後の2016年、シーズンオフ恒例のファン感謝デーで『スワローズのど自慢歌合戦』というコーナーがあり、その時にりゅうちぇるさんのコスプレを披露したのです。

     

    この年大流行したピコ太郎に扮した上田剛史選手と共に、PPAPを演じ、そのクオリティの高さが噂となり、キーワードとして浮上してきたと考えられます。

    奥村展征選手がコスプレをした姿はこちら。

    かなりハイクオリティな変装ですよね!

    高校時代、そして現役生活のエピソードを聞く限り、純粋な野球少年のようなイメージではありましたが、こんなはっちゃけた事が出来るキャラだったのかと、一気にファンの心を鷲掴みしました。

     

    ファン感謝デーはもちろん、シーズンオフには各球団が様々な競技を争うバトルスタジアム(日本テレビ系列)もありますが、こういった明るいキャラクターはテレビウケすると思うので、是非色々なところで見てみたいですね。

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    奥村展征とりゅうちぇるの共通点

    奥村展征選手とりゅうちぇるの共通点についても気になるところです。

    調べてみたところ二人は同い年ということが分かりました!

    ふたりとも1995年生まれで同学年です。

    同い年っていうだけでも親近感がわきますよね。

    奥村展征選手がりゅうちぇるのコスプレをしたのも親近感からきたものだったのではないでしょうか^^

    他に共通点はないか探してみたのですが、奥村展征選手は滋賀県出身ですし、りゅうちぇるは沖縄県出身だったり、あまり他の共通点は見つかりませんでした。

    ただ、無理やり共通点を作るとしたら祖父が偉大な人物だったという点が挙げられます。

    奥村展征選手の祖父は野田佳彦内閣で文部科学副大臣を務めていました。

    まさかプロ野球選手の家系に政治家がいたとは驚きですよね。

    りゅうちぇるの祖父はアメリカ人で兵士として戦争時に沖縄へ移住してきました。

    異国の地で住むのは勇気がいることですよね。

    二人の祖父は偉大なことを成し遂げた人物だったと言っていいでしょう。

    奥村展征とりゅうちぇるの仲は?

    同い年という共通点のある奥村展征選手とりゅうちぇるですが、二人の間に接点はあるのでしょうか。

    SNSやニュースを見る限りだと、二人の接点は見つからないので、直接会ったりとかはしてないのではないでしょうかね。

    同い年コンビとしてツーショット写真を撮ってくれないか期待しちゃいます。

    その際は奥村展征選手にりゅうちぇるのコスプレをしてもらいたく思います^^

    奥村展征とヤクルトとの縁が運命的

     奥村選手がヤクルトに移籍するきっかけとなった、相川選手の人的補償。

    当時、リーグワーストの防御率であった投手陣をウィークポイントとしてとらえられ、また真中監督の『外野手が欲しい』という発言が、巨人のプロテクトを決定打にしました。

    しかし、これは作戦で本当の狙いは『内野手』だったと言われています。

    結果として、山田哲人ら次世代を担う若手の内野手獲得に成功し、奥村選手はヤクルトに移籍となります。

    ですが、実は奥村選手は兼ねてからヤクルトには深い縁がありました。

     

    奥村選手の父、伸一さんはプリンスホテル野球部に所属しており、ヤクルトOB宮本慎也選手とは元チームメイト

    高校3年生の7月、山形県でヤクルト対巨人の公式戦が行われる際に、試合日前日の移動日にホテルへ向かい当時ヘッドコーチであった宮本選手と対面をすることができました。

    実は日大山形時代の監督、荒木準也さんも、伸一さんのプリンスホテル時代のチームメイトで、その繋がりがあって、地元だった滋賀県からの上京も関係しています。

     

    かつて父と共にプレーをしていた日本屈指の遊撃手であった宮本選手を尊敬して止まない奥村選手ですが、巨人入団時の会見でも憧れの選手を「宮本選手」と発言し、その想いはやがて宮本選手と同じ球団、同じポジションを守り、さらに本人から直接指導を受けるということが現実となりました。

     

    運も実力のうちと言いますが、ここまで全てが重なると、まさに『神ってる』選手のように思えてきますね。

    奥村展征についてまとめ 

    入団間もない選手が人的補償という、史上最年少での移籍を経験した奥村選手。

    ですが移籍先は、自分が目標とする宮本選手がいるヤクルトスワローズでした。

    しかも、宮本選手は1軍のヘッドコーチとしてチームの中枢に位置しており、目標はやがて直接指導を受け、一緒に優勝を目指すことになります。

    2020年は春季キャンプ中に負傷し、リハビリをしていたが良くならず病院で手術を受けました。

    球団からは全治未定と発表がされていますが、今は焦ることなく、しっかり完治させ、宮本選手を彷彿させる攻守と、期待される好打を活かして、山田哲人選手との二遊間を守ってもらいたいですね。

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    最後まで読んでくださりありがとうございました。

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