勝負の世界はよく予想だにしないことが起こって運命を左右することがあります。
時にはドラマを生み、時には残酷な結末にもなり得るものです。
特に勝ちを確信したチームにとってゲームをひっくり返された時の悔しさといったら腸が断ち切れる思いにもなります。
初めてその悔しさを体験した出来事を回想しました。
悔しさと引き換えにとても大切な教訓を得たので記事にしたいと思います。
5年生チームと6年生チームの紅白戦
少年野球チームに入って、5年生になりたての頃の話です。
監督が予告もなしに「これから紅白戦をやるぞ」と言いました。
6年生チーム対5年生チームの試合でやることに。
ほとんど試合に出れない5年生たちは俄然テンションが上がります。
確か5年生は一人しかレギュラーじゃなかったような。
もちろん、私ではありません!(笑)
スタメンは監督がすべて決めてくれて、私は2番サードでした。
当然6年生のほうが試合経験は豊富です。
5年生だけでチームを構成して試合をするのは初めてのことでしたが、6年生相手に本気で勝てるつもりで試合をしました。
正直、1学年下の身分でありながら、6年生の実力より5年生の実力のほうが上だと思っていました。
それでも5年生がレギュラーに一人だけと言うのは、6年生のキャプテンの親が監督をやっているから6年生に対する愛情がほかの学年よりも深いだけなのだろうと思っていました。
だから、5年生が勝つだろうと思って信じて止みませんでしたし、試合に勝って監督に5年生をレギュラーにしなかったことを後悔させてやる!と意気込んで試合に臨んだ記憶が鮮明に残っています。
5年生が1点差リードのまま最終回へ
先制したのは5年生チーム。パンチ力が無くても守備が上手だったのでリズムを作りながら回を進めていきました。
そのままシーソーゲームで4対3で5年生チームが勝ち越したまま7回裏までいきました。
最終回の時点で5年生チームが勝っていたのです。
勝つ気で試合に臨んでいましたが、本当に勝てそうだったので緊張も走ります。
緊張の雰囲気が漂う中、最終回のアウトを2つとりました。
あとアウト1つでゲームセットという時に事件は起こりました。
ボールが私のところへ
最後のボールはサードを守る私のところへ飛んできました。
それが結構な強襲だったのですが、体で止めたのでなんとか捕球できました。
落ち着いて投げれば余裕で間に合うのですが、最後のアウトということもあり緊張していたのでしょうか。
普段はファーストまでワンバウンドで投げていたのですが、その時だけノーバウンドで投げたのです。
少し上に反れてしまいましたが、ファーストの腕を上げれば余裕で届くくらいの高さでした。
そして、ファーストのグローブの芯に入った光景が目に入ってきました。
良かった、これでゲームセットだ
と安堵した途端、ファーストのグローブが送球したボールの勢いに負けて後ろに流れてしまったのです。
そして、ボールはファウルゾーンで転がりました。
最後のアウトが取れず、ランナーを出してしまいました。
逆転負け
その後、流れは完全に6年生チームに傾き、持ち前のパンチ力でランナーを返し、ついには逆転サヨナラ。
5年生チームは初試合で初負けを喫したのです。
最後のアウトをとっていれば勝てたのに。
この思いが堂々巡りとなっていました。
さらにこの思いの矛先がファーストの子に向いてしまったのです。
試合が終わった後、自責の念に駆られたファーストの子が号泣していたのですが、私はその子を慰めることもなく、心の中でその子を責めてしまっていたのです。
しかも、その当時、ファーストの子は私のキャッチボール相手でもあり、野球以外のところでもよく遊ぶ仲の良い子だったのに慰めることもできなかったのです。
その日の帰宅後、母親に試合後の言動についてさとされました。
なんで慰めに行ってあげなかったんだと。
僕の冷たい言動を見て、母親は本気でショックを受けていたのは伝わってきました。
そこで初めて自分自身の行動が間違っていたと気づいたのです。
言われるまでは慰めるという行動の選択肢が全くなくて、ただただ試合に勝てなかった悔しさで頭がいっぱいになっていました。
親に叱られて、自分はなんて小さい人間なのだと思い、電話でその子に謝罪と慰めの言葉をかけたのです。
教訓
目の前の勝利しか見えていなくて、もっと大切なチームメイトのことが見えなくなっていました。
勝利は一瞬のことですが、チームメイトは野球人生が終わっても続くことだってあります。
そういう長い目を持たずに行動したことで取り返しのつかないことにだってなりえます。
目の前のことや自分のことで頭がいっぱいになると、周りが見えなくなって基本的な人間性が失われてしまいます。
人間性を欠いてしまったらいろんなことで不利益をこうむります。
いつも相手の立場を考えて、悲しんでいるのなら一緒に悲しんで慰めてあげ、喜んでいたら自分の事のように喜んであげる。
これが人間としてあるべき姿なのではないでしょうか。
それではまた会いましょう。